
ジャンル:ホラー
制作:ピーター・サフラン、ジェームズ・ワン
監督:デイビット・F・サン
キャスト:アンソニー・ラパリア(サミュエル・マリンズ:マリンズ工房主人)、サマーラ・リー(アナベル・マリンズ:サミュエルの娘)、ミランダ・オットー(エスター・マリンズ:サミュエルの妻)、ルル・ウィルソン(リンダ:孤児)、タリタ・ベイトマン(ジャニス:孤児)、グレイス・カリー(キャロル:孤児)、フィリッパ・クルサード(ナンシー:孤児)、ステファニー・シグマン(シャーロット:修道女)
超ざっくりあらすじ
かつて幼い娘を不慮の事故で失ってしまったマリンズ夫妻は、娘の死から12年の時が過ぎ、二人には広すぎる家に孤児たちを招き入れることにした。そこで暮らすことになったシスター・シャーロットと6人の孤児たち。はじめは広い家に大喜びしていたものの、少しずつ不穏な空気が漂ってくる。そして、少女ジャネットが入ってはいけない部屋に足を踏み入れてしまった時、本当の恐怖が始まる。
ポストクレジット有無
なし
好き度
60/100(好き)

ここを【見所】とする
誰を本作の主役とするか難しいところだが、どう考えてもリンダの活躍がピカイチだった。
孤児たちがマリンズ家へ向かうバスの中、リンダとジャニスは、昔懐かしい折り紙パクパクで遊びながら、引き取られるときは二人一緒だと誓い合う。その健気な姿とリンダの目力により、この時点でリンダに引き込まれた(これはリンダ役ルル・ウィルソンが放つ存在感の強さもある)。
そしてリンダはその後も、素直さと賢さの絶妙なバランスで、好感度をあげていく。たとえば、アナベル人形が異変の原因だと悟るのも誰よりも早かった。ジャニスと最も仲が良かったことでアナベル人形を目撃する機会が多かったせいもあるだろうが、先入観や正常性バイアスに影響されない判断力は、作中の誰よりも高かった。
悟ったあとの行動力も目を見張る。人形がサミュエルを殺しジャニスを襲ったんだと言って、外灯もない夜に、単身不気味な人形を抱えて井戸に捨てに行くのだ。仮に人形がなくとも、夜中に1人で外の井戸に向かうのはなかなか勇気がいる。幽霊はいなくても、得体の知れない虫がいるかも知れない。なんなら、それを踏んづけるかも知れない。或いは、クモの巣がかかっているかも知れない。クモの巣に顔面から突っ込んでしまった時の絶望感は経験者にしか分からないだろう。しかしそんな不安もかなぐり捨てて、リンダは行った。結果としてアナベル人形は悪魔の力によって忽然とソファに戻ってきたわけだが、それでも立ち向かった勇気を賞賛せずにはいられない。
その後もリンダは逞しく、シスターが宙に浮き上がろうが、転んで足を引っ張られようが、諦めることをせずにその時その時の最善を考えて逃げる。荷物用エレベーターでの逃走劇も、常に冷静で、見ている側のストレスがない。
一生一緒にいることを誓ったはずのジャニスに襲われ、そして失い、きっと心に負った傷は誰よりも深いだろう。それでも最後の場面で、ジャニスと交換した人形の「ベッカ」を大切に抱える姿に胸を打たれた。本作で最も光り輝いていた存在、それは間違いなくリンダだ。
ちなみに、本作のヘイト要員は、どう考えてもノンデリキャロルだろう。年長者であることを理由にやたらリンダたちに強く出るだけでなく、思春期特有の、どことなくずっと周りを小ばかにした態度も鼻につく。悪魔が本領発揮して彼女を追い詰め、その後ナンシーに救い出された時には、そんなもんかよ!もっとやれよ!と不甲斐ない悪魔にイライラしたものだ。
疑問・つっこみ・考察 ごった煮
①アナベル人形……必要?
本作でもそうだが、死霊館ユニバースでの設定上、悪魔は人形に取り憑かないとされている。だから死霊人形と名乗ってはいるが某チ〇イルド・プレイのように悪霊の乗り移った人形が刃物を持って追い掛け回す類ではなく、本作でもアナベル人形が直接人間を殺傷している場面はない。
ジャニスへの憑依直前には、悪魔は少女アナベル(の霊)のフリをしたり、悪魔悪魔した見た目で現れたりしており、ジャニスにとってアナベル人形は恐怖の対象ではなかった。孤児たちが越してきた時点で人形はクローゼットに保管してあったのに、ジャニスに「find me」などとメモを残しおびき寄せ、部屋の開錠さえ出来たのは、アナベル人形自体が悪魔の化身のような存在ではないことを示している。
しかし、「こちらの世界に干渉するツール」という意味で、人形は確かに必要だったと思われる。一時的にでもアナベル人形を隔離したことでサミュエルたちに干渉できなくなったのも事実だからだ。もし悪魔にとって入り口として利用したアナベル人形が不要になっていたならば、クローゼットに閉じ込められたくらいで活動を停止しなかっただろう。
一方で、たった一度の祝福と、聖書の切り貼りをした小さなクローゼットで12年も放置してしまったのが問題だったのか、悪魔を完全に封印しておくことは出来なかったようだ。(死霊館シリーズにおいて、アナベル人形は2カ月に一度神父の祝福を受けているという記述がある)
ここからは推測だが、人形を介してこの世に干渉出来る状態を維持していた悪魔は、12年という年月の間に力を蓄え、マリンズ夫妻をコントロール下においていた可能性があるのではないだろうか。突然孤児たちを住まわせようという気になったのも、悪魔の誘惑だったのかも知れない。そして元々夫妻は悪魔が人形に憑く=自分たちの人生に干渉することを了承してしまっていたので、ジャニスという媒体をゲットしてパワーを増した悪魔は、彼らを残虐に殺すことが出来たとすると辻褄は合う。
なお、本作のエンディングで12年後再びジャニスが凶行に及ぶ描写がある。ジャニスを器にして取り憑いたことでマリンズ工房の外に出ることに成功した悪魔だったが、なぜ12年間沈黙していたのか。もしかすると12年というサイクルに何か意味があるのかも知れないが、その点は別のアナベルシリーズ作品でも明言されていない。
ところで、この悪魔に限ったことか不明だが、まったく十字架に動じないのが印象的だった。かつて、おままごとをしているアナベル=悪魔にエスターが十字架を掲げて近付いた際には、返り討ちにあって左顔面が潰された。サミュエルも、手作りの十字架を握りしめてジャニス=悪魔に近づいたが、まるでそれを嘲笑うかのように、指をポキポキと折った上で殺されてしまった。ひょっとして悪魔は十字架でビビるとか弱まることはなく、逆に十字架を持ってこられるとムカついて暴力を振るいたくなる、という可能性はあるかも知れない。悪魔を見かけても、安易に十字架で威嚇しない方がよさそうである。
②人が1人、死んでるんですが
本作で一番インパクトのあるシーンはエスターの半身壁飾りかも知れないが、シスターの歯磨きシークエンスもなかなか印象深い。そのシーン自体はただの成人女性の歯磨きなのだが、思い出して欲しい、歯磨き前にシスターたちは一台の車を見送っていて、恐らくそれにはサミュエルの死体が乗せてあったはずなのだ。つまり、あの歯磨きシークエンスは、ぼきぼきに折られてサミュエルが死んだその日の出来事ということになる。
人里離れた家の中で、家主の、しかもその場にいる唯一の男性が異様な死に様で亡くなったのだ、のんびり口腔衛生に気を使っている場合ではない。悪魔とすぐに結びつかずとも異常事態であることは明らかなのだから、すぐさま子どもたちを連れて外に出る!と騒ぎ立てていい状況だ。エスターがなんと言おうと車に押し込んででもその場を離れ、教会なりに助けを求めるべきだった。
仮に、遺体を引き取りに来た警察(?)が家の中を確認して「異常なさそうだから引き続きここに居てオッケーだぉ☆⌒d(´∀`)ノ」と言ったところで、安心要素はない。その前にジャニスが酷い目にあっているのだから警戒心が上がっていてもいいタイミングだ。一刻を争うと判断して、アナベル人形を1人で捨てに行ったリンダの方がまともに見える。やはり、シスターの危機管理能力は低いのではないかと疑わざるを得ない、し、あと普通に怖くね?
③死霊館ユニバースのおさらい
本作は、死霊館ユニバースの1作品、アナベルシリーズ第2弾として位置づけられている。実在する心霊研究家、ウォーレン夫妻が取り扱った実際の事件を元にしたとされる死霊館シリーズのスピンオフ的存在だ。
アナベルシリーズ第1弾は、本作終盤、12年後のジャニスが凶行に及ぶシークエンスを引き継ぐ形でスタートする。単体でそこまでの目新しさはない作品だが、その後ジャニスがどうなったのか、アナベル人形がどうなったのか気になる人は必見である。
各作品の事件の時系列としては下表①、映画公開順では下表②の通り。

雑感
①全然救いがない、それがいい
全体の恐怖度は低めだが、救いのなさがホラーとしては好印象である。
作中、サミュエルとエスターは揃って悪魔によって殺される。だが彼らは、降霊を試みて悪魔を自ら招き入れただけでなく、その事実を隠して子どもたちを住まわせたという落ち度もある。その意味で、真の犠牲者は子どもたちだと考える。特にジャニスは、孤児として育ち、ポリオのせいで足の自由を失った状態で、今度は悪魔までその身に引き受けてしまった。確かに、「入るべからず」に入った者が罰を受けるのは自業自得かも知れない。しかしジャニスの場合、悪魔の先導があって“ビー”の部屋に入ってしまったに過ぎない。あそこまでの罰を受けるような大罪ではなく、どう考えても釣り合わない。だからこそ突き付けられるやるせなさがあり、それこそが本作の魅力でもある。
時代設定が1950年代のため、当然のことながら携帯電話やインターネットは存在しない。つまり、ちょっと人里を離れるだけであっと言う間に隔離状態が成立する。そんな孤立感と、1人で立つこともままならない体で悪魔に狙われるというジャニスの絶望感が相まって、非常にうら寂しくも美しいホラーに仕上がっている。
②振り回されるのは、いつも子どもたち
悲劇の始まりである、アナベル・マリンズの交通事故。あの事故シーンに違和感を持った人は多いのではないだろうか。あんな見通しの良い道で、前方に停車し作業している車がいるにも関わらず、暴走してくる車。スピードくらい落とせバカ野郎。そして、迫ってくる車の存在にまるで配慮しないマリンズ夫妻も迂闊だ。不慮の出来事ではあったと思うが、まったく防ぐ術がない事故だったとは思えない。少女アナベルが、本当に不憫でならない。
そして12年後。償いという自己満足的理由で子どもたちを引き取るマリンズ夫妻にも苛立ちを覚えてしまう。悪魔に無意識を操られていた可能性(悪魔の囁きで、子どもたちを引き取るようそそのかされた可能性)は否めないが、あんな簡単な施錠しか出来ない部屋に呪いの人形を置いた状態で子どもたちを呼び寄せるのは無責任ではないだろうか。最低でも、アナベル人形に関して何があったかを神父やシスターにすべて話した上で引き取るべきだったと思う。(孤児院側がそれでも引っ越すと決めるかはともかく)
また、不可解な事象について、大人が子どもの発言を真面目に取り合わない(そして事態が悪化してから、あれは本当だったのかと後悔する)というのは、この手の映画でありがちな展開である。本作では、ジャニスがシスター・シャーロットに対して「(自分は)階段から落ちたんじゃない、目に見えない何かがこの家にはいる、ここには住めない」と必死に訴えるが、「あなたは弱くない」という話に収束してしまう。もしあの時点でマリンズ邸を出ていたら違う結末があったかも知れないと思うと、シスターの初動にも甘さを感じる。
アナベル・マリンズしかり、ジャニスしかり、周囲の対応によっては守られていたかも知れないと思うと、彼女たちは大人の犠牲になったように感じられて仕方ないのだ。



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