
ジャンル:ホラー
制作:ジェームズ・ワン、ピーター・サフラン
監督:マイケル・チャペス
キャスト:ベラ・ファーミガ(ロレイン・ウォーレン:主人公/エドの妻・透視能力者)、パトリック・ウィルソン(エド・ウォーレン:主人公/ロレインの夫・悪魔研究家)、スターリング・ジェリンズ(ジュディ:ウォーレン家長女)、ルアイリ・オコナー(アーニー・シャイアン・ジョンソン:デビーの恋人)、サラ・キャサリン・フック(デビー・グラツェル:グラツェル家長女/デイビッドの姉)、ジュリアン・ヒリアード(デイビッド・グラツェル:グラツェル家長男)
超ざっくりあらすじ
1981年。少年デイビッドの壮絶な悪魔祓いが行われ、彼はなんとか救われた。ところが今度は、悪魔祓いに居合わせていた青年アーニーが凄惨な殺人事件を起こす。果たしてそれは悪魔の仕業なのか。調査を進めるウォーレン夫妻の前に立ちはだかる敵は、やがてその牙を別の者にも向ける。
ポストクレジット有無
なし(エンドロール中に実際のインタビュー映像・悪魔祓い音声あり)
好き度
40/100(あまり好きではない)

ここを【見所】とする
シリーズで初めてウォーレン夫妻が人間と直接対峙する点が、本作の注目ポイントである。
散々悪霊や悪魔と戦ってきた本シリーズだが、人間相手だからと言ってスケールダウンすることはない。メインエネミーとなる悪魔崇拝者のアイラという女が、バカ強いのである(それについては別途、詳細に振り返る)。むしろ、「この家に憑いた悪霊」、「この家族を襲っている悪魔」と違い、どこのどいつがなんのためにどうやって?という5W1Hみたいなところからスタートしなくてはならない分、ウォーレン夫妻にとってはやりにくい相手だったと言えるだろう。逆にドルーは活躍の場を得た感じもあり、そんな今までとは違う推理要素も面白さの一つである。
本作は日本語で『悪魔のせいなら、無罪。』というタイトルが付けられている。しかし無罪or有罪かを争う法廷バトルではないし、実際、悪魔のせいでも有罪は有罪だった。だからと言って、ウォーレン夫妻が負けを嘆いたりすることもないし、ラストは皆晴れやかな表情だった。それは当然のことながら、アイラを打ち破って悪魔の召喚やそれに伴う次の犠牲を防ぐことが出来たからである。
結局、この作品の根底にある恐怖というのは、突然悪意ある人間の仕業によって加害者にされてしまう理不尽さである。それはカスナー神父のセリフに凝縮されている。『わけもなく殺すのが悪魔崇拝者。悪魔の目的は混沌』。すなわち、信心深いとか、善良であることは、なんの盾にもならないと言っているのだ。「私は無神論者である」と神を否定したところで、悪魔崇拝者が次はコイツを生贄にすると決めたら、次に犠牲になるのは自分かも知れない。床板が腐ったり、壁に黒い染みが出来たりし始めたら、聖書と十字架を準備しよう。
疑問・つっこみ・考察 ごった煮
①アイラが強すぎる
本作の敵アイラは、ロレイン達の相談役のようなポジションで登場したカスナー神父の娘である。アイラの母親は産後に亡くなり、神父が一人で育てたようだ。神父本人は、長年オカルト研究に没頭しており、教会の倉庫だった場所を自らの職場のようにして、カルト集団から回収した物品や資料など諸々を保管していたという。そして神父は、アイラに隠れて研究をしていたことが、かえってアイラの興味を引いたとロレインに告げる。『親は心しておくべきだ、執着は子どもに引き継がれる』などとも語っていた。
しかし、アイラの立場で考えると、生まれた時から母が不在、他人から隠れて自分を育てている父は神父として神に仕え、一方で、自分をないがしろにしてオカルト研究に没頭している環境。ある意味で両親を奪った神への反抗心のようなものが芽生えても不思議ではないのである。オカルトや悪魔崇拝といった選択肢が手の届くところに転がっていれば、そちらに傾倒してもおかしくない状況だったとも思える。オカルトへの執着云々という話ではなく、単純に神父の撒いた種とも言えないだろうか。
さて、そんなカルトのめり込みコース一直線の環境で育ってしまったアイラは、立派な悪魔崇拝者として成長を遂げた。今回、デイビッドを守る形でアーニーが呪いを引き受けたのだが、アーニーがターゲットになるやいなや、がっつりコンタクトしてみたり(一人きりになったアーニーの頭を鷲掴み)、アーニーの前にチラリズムしてみたり(木を切る作業中に窓に立つ)、更には、遠隔でアーニーが持つ聖水の瓶を割って自殺するモーションを取らせたりする。ここまでくると、どういう理屈なのか全く分からない。考えられるものとしては、①そもそもアイラには1ロレインに似た能力がある、②悪魔が召喚の見返りにアイラに力を与えている、の2パターンある。ひょっとして両方かも知れない。
それ以外にも、終盤、神父の家の地下に辿り着いたエドに対してロレインの幻覚をまとって近づき、フッと砂?粉?を吹きかけて目つぶしをする。そこから先、エドはロレインが悪魔にしか見えず、ハンマーを振り回して襲いまわる展開となる。どんな魔法だよ、と突っ込みながら見ていたが、もはや悪魔そのものと同等の力と言えるだろう。
ちなみに本作で登場した「魔女の彫像」だが、特定の儀式やカルト集団と結びつく情報は探せなかった(そう簡単に情報が得られても怖いけど)。また、悪魔の名前も挙げられていない。唯一本編中で明らかになっているのは、当該悪魔の召喚には、子ども、恋人、信心深い男という3人の生贄が必要だということだ。そのため、まずは子ども枠としてデイビッドが狙われた。その後呪いを代理で引き受けたアーニーはどう見ても“子ども”ではなさそうだが、悪魔的にはオッケーだったらしい。そして、恋人枠はジェシカだろう(生前のやり取りや墓標などで、ケイティとの関係が友達以上のものであると示唆されている)。そして信心深い男は、もちろんエドである。ロレインの透視時に繋がりを持ったことで存在を把握したアイラは、エドのことを調べたらしく、ターゲットに定めると、早速家に彫像を送りつけ、その後はエドを利用してロレインを排除しようとした。ストーカー気質バリバリである。
なお、アイラは神父を殺す時も、ロレインを殺そうとした時も、直接攻撃を仕掛けていた。祭壇でターゲットの写真を置いて魔術的儀式を実施しない限り、遠隔で殺したりするのは出来ないらしい。祭壇と言えば、ロレインが何度も祭壇をひっくり返そうと試みるシーンは、さすがに「だからそれは無理なんだって!」とツッコミを入れてしまった。さっさと諦めて、祭壇の上の道具をひっくり返すとか、なんか、もっと、何か、ほら、あるじゃん!と思いながら見ていたのを思い出す。
②被害者ブルーノ
あくまでも映画として、実際の事件や裁判とは切り離しての感想だが、経緯を見守ってきた者としてはアーニーが極刑を免れたことに安堵した。そこにどれだけウォーレン夫妻の示した「悪魔憑き」の証明が寄与していたかは不明だが、アーニーの周囲の人間の想いが報われた瞬間だった。
しかし、依然としてすっきりしない気持ちは残る。ブルーノにフォーカスすると、どこから見てもただただ救いのない悲劇だからだ。彼は貰い事故的に殺された被害者でしかない。ちょっと強引なところもあったし、あんな脂汗をかいて蒼白い顔の人間を酒に誘う空気の読めなさは確かに残念だが、本編中で言及されているのは、自身のケンネルでデビーを雇い、その上でアーニーと共にタダで居候させてあげているという事実。多少粗野かも知れないがそんなに大悪党ということでもなさそうだ。たとえば、錯乱したアーニーが見た、デビーにいやらしく触ったり襲ったりする姿はすべて幻覚であり、実際のブルーノはそこそこ距離を置いて楽しく酔っぱらっていただけである。
裏で手を引いていたのが悪魔崇拝者なので、そんな理不尽も込みで恐怖と混乱を招くのが狙いと言われれば狙い通りで癪に障るが、呪いを受けた人間だけでなくその周囲で亡くなった人々のことを思うとなんともやるせない。
③死霊館ユニバースのおさらい
本作は実在する心霊研究家、ウォーレン夫妻が取り扱った実際の事件を元にしたとされる死霊館シリーズの第3作目である。関連するシリーズはまとめて、一般に死霊館ユニバースと呼ばれている。
各作品の事件の時系列としては下表①、映画公開順では下表②の通りである。

もし前2作を飛ばして本作を観ていた場合には、せっかくなので死霊館シリーズを公開順に制覇して欲しい。本作も良かったが、前2作はオカルトに全振りした古き良きホラー映画のテイストを味わえる。その後、死霊館のシスターシリーズを公開順に見るのがおすすめだ。死霊館のシスター2作では、死霊館シリーズでも登場するヴァラクに関してたっぷりと描かれている。アナベルシリーズ第一弾、第二弾は直接ウォーレン夫妻に関係のない話となっており、第3弾はウォーレン一家こそ出演しているものの死霊館シリーズとは少々毛色が違っており、ライトなエンタメホラーになっている。さらっとアナベル人形の単純な出自を確認したい場合には、第2弾の「アナベル 死霊人形の誕生」のみでも問題ない。
雑感
①同時進行の切迫感
いよいよアイラが儀式を完了させるべく動き出した夜。エドはドルーと報告書の調査を進め、ロレインは魔術書の翻訳をカスナー神父に依頼するという役割分担をして、アーニーの元を離れなくてはならなかった。デビーとニューマン神父にアーニーを任せて、それぞれが動き出す。
ここからの、平行して物事が進み、徐々に危機が迫ってくる緊張感が良かった。神父とのやり取りで真実に辿り着くロレイン、調査の結果ロレインが危険だと悟って向かうエド、いよいよ様子がおかしくなってくるアーニー、オロオロする頼りないニューマン神父に悪魔祓いの祈りを指示する強いデビー。
過去2作では、取り憑かれた者とロレインたちは物理的にそばにいたため、こういった演出は見られなかった。エドたちからすると、アーニーが今どれだけ危機的状況にいるのかが分からないのだが、これまでの経験から一刻を争うものであると理解しているのだろう。ロレイン的には、あの神父の告白もアイラの登場も全くの予想外ではあっただろうが、最短ルートで元凶を潰すことが出来たので結果オーライと言える。むしろ普段神父が別宅で生活していたり、アイラが別で倉庫を借りて祭壇を作っていたりしたなら、あのギリギリアーニー救出劇は果たせなかったかも知れない。なんせ、アーニーの自殺を止める時間稼ぎは、意味があるかないか分からないレベルのニューマン神父の祈りと、デビーの細腕一本だけだったのだから。
②ウォーレン夫妻の強い愛
デイビッドの悪魔祓いの時に、悪魔の力によってエドは心筋梗塞を引き起こした。一命は取り止め、その後順調に回復したものの、薬を常備し杖をついて歩くようになってしまった。それでも、エドは体を張ってロレインを助けるために動き続ける。ジェシカの居場所特定のために霊視し、その後崖下に引きずり込まれそうになった時にも、すんでのところで助けたのはエドだった。心臓疾患を抱えたエドよりも足が遅いあの刑事は、普段どんな働きぶりをしているのだろうか。デスクワーク担当なのか。
そして、ロレインもエドを信じて愛を貫く。もし今誰かが私に向かってクソデカハンマー(攻撃力+++)を振り回して迫ってきた場合、たとえそれが愛する誰かであったとしても、頭の一つもぶん殴って抵抗するだろう。しかし、ロレインは違う。悪魔の幻覚を見せられ凄い勢いでハンマーを振り回して自分を追い回すエドに対し、ひたすら魂に訴えかける。手は出さない。愛を信じて呼び掛け続ける、それだけなのだ。
そしてエドの脳裏には出会ったあの頃の二人が蘇り、それが引き金となって、正気に戻った。つまり、二人の愛の力で呪いに打ち勝ったのだ。当然、ロレインの持つ特別な力があってこそだと思われる。ロレインは、他者の脳ないし魂に干渉することが出来るからだ。本作中でも、アイラと視界を共有している表現があるが、エドに対して呼び掛けた時にも似たような作用があったのだろう。
本編は、エドが庭に思い出のあずまやを立てロレインにサプライズでプレゼントした場面で終わる。この作品が、エドとロレインとの夫婦愛を主軸に描いていることの象徴ではないだろうか。それはそれとして、見終わってから「庭 あずまや 費用」などと検索したのは私だけではないはずだ。



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