
ジャンル:ホラー、ミステリー
制作:ピーター・サフラン、ジェームズ・ワン
監督:マイケル・チャベス
キャスト:タイッサ・ファーミガ(アイリーン:主人公/シスター)、ジョナ・ブロケ(モリース)、ストーム・リード(デブラ:シスター)、アナ・ポップルウェル(ケイト:教師)、ケイトリン・ローズ・ダウニー(ソフィー:学生/ケイトの娘)、ボニー・アーロンズ(ヴァラク)
超ざっくりあらすじ
1956年のフランスで、突然神父が火あぶりになって亡くなった。バチカンは、それ以前に起きたハンガリー、オーストリア、そしてイタリアでの聖職者の死も関連があるものとして、またしてもアイリーンに調査を命じる。仕方なく引き受けたアイリーンが相棒役のシスター・デブラと共に向かった先では、素直に喜べない再会があった。
ポストクレジット有無
なし(ミッドクレジットで電話を受けるウォーレン夫妻の映像あり)
好き度
50/100(普通)

ここを【見所】とする
本作では、アイリーンの出自に隠された秘密が、彼女自身のアイデンティティとして確立していく様子がドラマチックに描かれている。
前作「死霊館のシスター」にて、ルーマニアの聖カルタ修道院で悪魔ヴァラクと戦ったアイリーンは、その事実を周囲に伏せて静かに暮らしていた。しかし、バチカンは悪魔の再来を察知すると、再びアイリーンに白羽の矢を立てた。さすがに前回命の危機に晒されたこともあり、アイリーンはその頼みを断ろうとするのだが、「また奇跡を起こしてくれ」の一言で突っぱねられた。バチカンがそれほど人手不足なのか、アイリーンが特殊過ぎるのかは知らないが、あまりにも強引である。それでも、「だったら次はお前が奇跡を起こしてみろや、老いぼれが!」などと言い捨てることもなく、アイリーンは素直に現場へ向かう。
勝手に追いかけてきたデブラと合流し、移動の電車内では「信じればワインはキリストの血になる、信じることで奇跡が現実になる」と持論を語る。一方のデブラは、言葉では信じられないからこの目で奇跡を見たいのだと言い、神への信仰が揺らいでいるようである。アイリーンは前作で本物の悪魔に会っているわけで、信じる・信じないの次元ではないという見方もあるが、聖職者であっても真の信仰心を持っている人たちばかりではないことを示しているのだろう。(そもそもデブラは敬虔な信徒ではなさそうだが)
やがて調査を進めたアイリーンは、聖ルチアと言う聖人に辿り着く。その後窮地に追い込まれた際には、ヴィジョンを通じて、自分がそのルチアの血を引いていることを悟った。そうして自分が何者であるかを知ったアイリーンは、そこからとんでもない強さを発揮し、超能力バトルの覚醒モード的な凄まじさを見せた。アイリーンがジャブジャブ流れるワインに手をつき神に祈っただけで、ワイン樽の中身が全てキリストの血となり、キャノン砲のようにヴァラクへ向かって噴射されたのだ。そうして、折角聖遺物を手にしたヴァラクだったが、あっけなく退散することとなった。
「異端者」として強制入院させられた母、その母に似て「普通と違うから」と追い払われた自分。そうしてずっと居場所のない時代を過ごしてきたに違いない彼女は、本編序盤、デブラに対して母親のことを覚えていないと誤魔化していた。それは自分という存在さえ誤魔化し、否定している姿に見えた。しかし今回のヴァラクとの対峙を経て、母も自分も理由があって「普通と違った」のだと知る。神に与えられた力と向き合い、それによって悪を退けた彼女はきっとこれから先、母を心から誇りに思い、自分が特別であることに胸を張って生きていけるはずだ。
ただ一点どうしても指摘しないといけないのは、今回もアイリーンがヴァラクを地獄に送り返すことが出来なかったことである。悪魔は、ご丁寧にその名前を呼んで、神の名を持って地獄に落ちるよう命じなければならないのだが、アイリーンがその手順を踏まなかったことで、一時凌ぎ的にあの場から悪魔を消すだけで終わってしまった。彼女ほどの力があれば、手順さえ正しければヴァラクを地獄の底まで叩き落せたはずなのに、みすみすラスボスを逃した感があって残念だった。というかバチカンの連中は、アイリーンを行かせる前にちゃんと悪魔祓いのやり方を教えるべきだった。教育もせず、ただただ現場に放り込んだのだから、明らかにバチカンの落ち度である。きちんと手順を学び、天性の力を生かしていくことが出来れば、今後も美しすぎる悪魔ハンター・アイリーンとして活躍していくに違いない。
疑問・つっこみ・考察 ごった煮
①何故校長は殺されたのか
出だしこそ、なんか嫌な感じのオバサマという雰囲気で登場したローラン校長だったが、至って普通の人物だった。むしろ、寄宿学校を支える立場の人間として、多少の厳しさがなければやっていけないだろう。それでも、夜に怪しすぎる行動をとっていたモリースに対して「いいのよ」と優しく声を掛けるなど、きっと根は優しい人物なのだと感じた。
しかし、あぁ、この人悪い人じゃないんだろうな~と思った矢先に命を落とす展開となる。おぞましいのは、悪魔が自らの手で殺すのではなく、校長の息子セドリックの霊をけしかけたことだ。あの場所が礼拝堂=息子が空襲で亡くなった場所であること、また、悪魔の手がセドリックの肩に添えられた描写があったことから、悪魔が化けたのではなく、確かにセドリックの霊体だったと推察する。(死霊館ユニバースでは、霊は場所に、悪魔は人に憑くという設定上のルールがある)
セドリックは、ママと呼び掛け、笑い声をあげ、まるでかくれんぼでもするかのように校長を礼拝堂の奥へ導き入れる。自室の鏡台には息子の写真を立てるなど、恐らく今も息子への深い愛情を持ち続けていた校長としては、たとえ現実的にあり得ない状況であっても息子の姿を追わないわけにいかなかったのだろう。深夜の礼拝堂は見るからに恐ろしい場所だったが、校長は気にせず進んで行く。その後、セドリックの姿が見えたり見えなかったりしたかと思えば、振り香炉(ふりこうろ)をぶん回して突然攻撃された。やめてと叫ぶも攻撃は止まず、だが最後の最後は振り香炉ではなくクレーンが落下して死んでしまった。
さて、本題だが、何故悪魔は校長を狙ったのだろうか。モリースが直前に礼拝堂にいたことから、既に悪魔は礼拝堂内に侵入しており、あとは聖遺物を探すだけという状態だったと思われる。そのため、そこへ現れた人間が邪魔だったか、或いはちょっと弄んで殺そう、くらいの感覚だったのではないだろうか。校長を殺すことが聖遺物に近づく直接的メリットになるとも思えないし、逆に校長を殺せば警察が来て礼拝堂が包囲され近寄れなくなる可能性もあった。悪魔なのでそこまで考えが至らなかったのかも知れないが、いずれにしても理由があって殺すより、ただただ殺す方が悪魔っぽいといえば悪魔っぽい。ローラン校長が天国でセドリックと再会できることを心から祈るばかりである。
②ソフィー、ただの子供じゃないな?
モリースが寄宿学校に来てからそこまで日が経っていないはずだが、ソフィーはモリースとかなり打ち解け、他の生徒たちよりも距離が近いようだった。独り身らしい母といい感じになって欲しいなという朧げな期待もあったと思うが、クソガキクラスメートたちにいじめられている様子もあったので、純粋に友人としてその存在が嬉しかったのだろう。
だからこそ、モリースが悪魔に憑依されて自分を襲ってくるという事実は、彼女にとって辛いものだったに違いない。だが、ソフィーはただめそめそ逃げ回ったりするキャラクターではなかった。勇気と運動神経、そしておそらく第六感的なものを兼ね備え、大人と同等の活躍を見せるのだ。
第六感的なものの存在が垣間見えるシーンはいくつかある。たとえば、庭に突っ立ち様子がおかしいモリースに気付いたと思ったら、母に呼ばれて後を追うも、そこにはヴァラクの姿がという展開。この前にも一度礼拝堂でニアミスしているのだが、寄宿学校の生徒の中で、唯一シスター姿のヴァラクを見た人物である。そして、この学校にはいちゃいけない何かがいる、と誰よりも早く感じ取っていた。ステンドグラスのヤギの悪魔にも心底恐怖を感じていたし(実際悪魔が出没)、それが何かは分からずとも悪魔的な物の存在を感知する力を持っているように見えた。
ちなみに、ソフィーが握りしめた聖遺物入りの小箱が光るシーンがある。アイリーンとソフィー以外が聖遺物を持って悪魔と対峙する場面はなかったはずなので比較が難しいが、ひょっとして、ソフィーにもなんらかの力があるという描写ではないだろうか。アイリーンが小箱を掘り出して拾った時も、アイリーンがソフィーから受け取った時も、それだけでは発光していなかった。霊的な力をもつ者が手にして、悪魔の存在が近づいた時に初めて、光り出すのではないだろうか。もしただ悪魔に自動的に反応して発光する場合、もっとずっと光り続けることになるので、アイリーンが「悪魔よ!」と掲げる➡ピカーン!と輝く、というカッコいい水戸黄門演出にはならなかったはずだ。
③死霊館ユニバースのおさらい
本作は、死霊館ユニバースの1作品、死霊館のシスターシリーズ第2弾として位置づけられている。実在する心霊研究家、ウォーレン夫妻が取り扱った実際の事件を元にしたとされる死霊館シリーズのスピンオフ的存在だ。
もし前作死霊館のシスターを見る前にこちらを見てしまった場合には、アイリーンとモリース、そしてヴァラクとの出会いが描かれた一作になるので、時を遡る形になるが前作も視聴してみて欲しい。
なおアナベルシリーズは、死霊館/ウォーレン夫妻と繋がりこそあるものの、こちらのシリーズとはほぼ無関係である。
各作品の事件の時系列としては下表①、映画公開順では下表②の通り。

雑感
①パワーアップしているヴァラク
前作同様、直接対峙する派手なアクションシーンは最後の最後まで出て来ない。あくまでも本作はじわりじわりと迫ってくるヴァラクの恐怖を描く作品である。
しかしそれでも隠せないのが明らかにアップしたヴァラクの戦闘力である。ルーマニアでの事件後、西に進みながらばったばったと聖職者を死に追い込んできたらしいが、それによって力を蓄えたということなのだろうか。或いは、モリースという器を得て外に出たことで本領を発揮しているだけで、そもそもあれほどの強さを持っていたのかも知れない。
なお、アイリーンが派遣されることになったきっかけとして「聖職者」が「特異な死に方」をしていたからバチカンの目に留まっただけであって、道中、事故死的状況で一般人が死んでいても、悪魔の仕業とカウントされなかったに違いない。たとえば今回も、モリースが半硬直でカッカッと声を上げておかしくなっているのを目撃した少年が1人殺されているが、話題にすらなっていなかった。そうして闇に葬られた犠牲者も含めると、ヴァラクは今回相当大暴れしていたことになる。たまたまアイリーンによってその場を収められてしまったが、聖遺物を手にした状態で野に放たれていたら、一体どこまで被害が拡大していたのか想像もつかない。
②虫とクソガキは嫌いだよ
寄宿学校での最初のシークエンスは、女子生徒が虫を捕まえて瓶に詰める場面である。そして、舎弟的女子が瓶を差し出すと、ボス(シモーヌ)は「手間取ったわね」と言い捨てる。たったこれだけで、いかにこのボス女子の性格が捻じれまくっているかが分かる。
その後、シモーヌたちは捉えた虫を壁の穴から校長室へと放ち、校長がジーザスクライスト!と悲鳴を上げる流れとなる。しかし校長と虫の関係はそれで終わらない。ケイトが校長の死体を発見した際はその顔にゴキブリが這っていた。そして悪魔が解放されてから現れた校長の霊は、口からゴキブリを大量放出していた。校長も私同様に虫嫌いだったと思われるのだが、何度もゴキブリと関連付けられて本当に不憫だ。それもこれも初っ端の虫の悪戯のせいだと思うと、シモーヌたちは相当罪深い。
シモーヌたちの悪行は他にもあり、ソフィーを礼拝堂へ閉じ込めるというイジメをする。ソフィーが出て来てからの、ほ~ら、ボーイフレンドが助けにきた~みたいな言い方も、あの年齢の女子らしいものではあるが腹立たしい(なお、礼拝堂から出る直前にソフィーが一瞬ヴァラクと遭遇してしまうのは、傍にモリースが来たからと推察される)。このイジメのシークエンスは、後に聖遺物が埋められた場所を特定するための伏線的役割も持ってはいるのだが、それで許されると思うなよ、という気持ちである。だからシモーヌが悪魔のせいで負傷したところで、因果応報感もあり、たいして同情出来なかった。
ところで、ステンドグラスは神の光の象徴とされており、教会や修道院に飾られるステンドグラスに基本悪魔のデザインは採用されない。あのステンドグラスも、ヤギ=悪魔として描かれていたというよりは、別の意味の象徴で描かれていたヤギに悪魔の意味を持たせてしまっただけと思われる。或いは、聖遺物の在り処を示すことを伏せるため、あえて悪魔に関する曰くを持たせた可能性もある。なお、キリスト教では、羊を神のしもべの象徴としており、ヤギはどちらかと言うと不従順な人間を表したり、むしろ悪魔的な儀式などと紐づけられることが多い。これはそもそもの動物としての習性が、羊は群れで行動して素直で扱いやすい一方、ヤギは好奇心と自立心が強く、飼う側としては扱いにくいところから来ているようだ。たしかに動物園でも、体感では羊とのふれあいコーナーの方が多い。ちなみに私はアルパカ派です。



人気記事