
ジャンル:アクション、SF
制作::ジョン・デイヴィス、ローレンス・ゴードン、ジョエル・シルバー
監督:シェーン・ブラック
キャスト:ボイド・ホルブルック(クイン・マッケナ:主人公/米特殊部隊スナイパー)、オリヴィア・マン(ケイシー・ブラケット/進化生物学者)、トレヴァンテ・ローズ(ネブラスカ・ウィリアムズ:元空軍特殊部隊)、トーマス・ジェーン(バクスリー:元海兵隊員)、キーガン=マイケル・キー(コイル:元海兵隊員)、アルフィー・アレン(リンチ:元陸軍外人部隊隊員)、アウグスト・アギレラ(ネトルズ:ヘリコプターの操縦士)、ジェイコブ・トレンブレイ(ローリー・マッケナ:中学生/クインの息子)、スターリング・K・ブラウン(ウィル・トレーガー:CIA/スターゲイザー責任者)
超ざっくりあらすじ
アメリカ軍特殊部隊のクイン・マッケナは、職務中メキシコで謎の宇宙船墜落事故に遭遇したが、その事実を隠したい政府によって逮捕、送還されることになった。護送車が緊急退避命令により停車すると、“異星人”がクインを含めた退役軍人受刑者たちの前に現れる。その騒動に乗じて脱走した面々だったが、クインの息子ローリーも一連の事件に巻き込まれていると悟り、“異星人”と戦うことを決意するのだった。
ポストクレジット有無
なし
好き度
30/100(好きではない)

ここを【見所】とする
CGと実写がうまく組み合わさった肉感あるアクション映像が見所である。
コメディ×アクションの組み合わせが好きな人にとっては、少々下品なギャグがあるものの、テンポ良く進むので尺ほど長くは感じないはずだ。またプレデターと人間の戦闘、プレデター同士の戦闘に加えて、初登場となるプレデターハウンド(プレデター犬)の活躍など、アクションシーンは程よく散りばめられているので、その意味でも飽きることなくオチまで楽しめるだろう。
疑問・つっこみ・考察 ごった煮
①やめてほしかった“新たな設定”
プレデターと言えば、狩りが大好きな戦闘狂で、ただただ狩りがしたくて地球にやってきては強い相手と戦い、負けたら終わり、というのが世界の共通認識だった。
ところが、本作におけるプレデターは、「進化のために人間の脊椎(髄液)を奪う」目的で地球にやってきた、という設定が加わってしまった。それにより、戦利品やトロフィー的な意味合いで殺した相手の背骨から頭蓋骨までを持ち帰っていたという設定も、遺伝情報をぶっこ抜く目的もあったと改変されたことになってしまう。
より強くなりたいと考えるのは戦闘種族であればごもっともな目標であるが、そのために、その星で一番強い生物から脊椎を奪って遺伝的変化・進化を繰り返していく、となると話は全く異なる。どちらかと言うと侵略者に近い考えで、これまでのストイックなプレデターたちとは相いれないと感じた。プレデターと言えば、サーマルヴィジョンで相手をじっくり観察し、時に姿を隠したまま奇襲をかけて生皮を剥ぐなど、必ずしも潔く真っ向勝負をして正々堂々戦っているわけではない。それでも、別の生き物の遺伝子を組み込んで、科学の力で種族ごと強化しようとする姿勢には、まったくプレデターらしさを感じられないのである。
そんなプレデター界の常識を覆す設定変更のせいで、「遺伝子改良で生まれた上位種」という概念が誕生し、その上位種アサシンプレデターは、オリジナルに近いフジティブプレデターを雑に瞬殺してしまうなど、しょっぱい戦闘力インフレまで起こした。正直言って、その設定改悪だけでこの作品の好き度はグンと下がった。
②ローリーを狙う意味
設定改悪への苛立ちは①で伝わったと思うが、一万歩譲ってその設定を受け入れるとして、ではなぜ今回アサシンプレデターはクインの息子、ローリーを狙ったのだろうか(そもそも人間はプレデターより全般的に劣っている気がするのに何故人間を欲しがるのかという疑問はあるが)。
作中でローリーは自閉症であると示唆されている。学校で鳴った警報には耳を塞いで座り込んでしまうなど感覚が過敏であることに加え、サヴァン症候群的特性なのか、瞬間的にチェスの盤面を記憶し取っ散らかってもパッと直せる描写があったり、プレデターのマスクやガントレットに組み込まれた情報も瞬時に解読しているように見えた。確かに後者を見れば、ローリーは比類なき頭脳の持ち主だと言っていいのかも知れない。しかし、果たしてそれが、プレデターがこの星で一番欲しい存在となるほどの要素になるのだろうか。
ローリーは、体格体力平均程度(以下?)の少年に過ぎない。彼の身体的特徴を受け継いでしまった場合、オリジナルのプレデターよりもフィジカル面で断然弱くなることは明白である。「プレデターの装備からいとも簡単に情報を解読した」という一点においてローリーを候補と考えるなら、その程度の知能・知識レベルの大人をターゲットとする方が、リスクは減るはずだ。「マッケナ狙ってます」「やっぱり俺チャン狙いか」「お前じゃなくて息子な」「ナンダッテー!」みたいな薄いどんでん返しがしたかっただけ、とも思える程、合理性のない人選に感じた。
そもそもローリーが抱える障害についても描き方が微妙だったように思う。たとえば、序盤では校内の警報の音ですら動揺して耳を塞いでいたのに、終盤戦闘に巻き込まれている間はずっとそんな素振りは見せず、ただただ無感情に見えた。なんなら、後半彼が動揺している姿を見た記憶がない。「ローリーが知覚をシャットアウトして見ざる聞かざるで自分の殻にこもってしまいクインが抱えて助けるしかない」といった展開は皆無で、むしろ大人もびっくりの冷静さと判断力で素早く動いてクインたちの助けになっていた。ある程度表現にムラが出来るのは仕方ないのかも知れないが、こうも一貫性のない表現では、ローリーの状態を正しく理解することが困難になるだけでなく、彼を狙うプレデター側の根拠も説得力を失う。これほどブレてしまうくらいなら、IQ200の超天才児だけどクソ生意気で大人たちは手がつけられない、くらいの設定にした方がまだマシだったかも知れない。
③今回のプレデター
本作冒頭で、1機の宇宙船が攻撃を受けて地球に逃げ込む。宇宙船は墜落し、搭乗者がポッドで脱出している描写があるが、脱出した個体こそがフジティブプレデターである。
フジティブプレデターは、人類がプレデターからの侵略に対抗できるよう、プレデターキラーなる武器を渡すべく、他のプレデターに追われながらも地球に来ていたという経緯がある。そんなフジティブプレデター、見た目はいわゆるクラシックなスタイルで慣れ親しんだプレデターという感じなのだが「人類に武器を提供するためにやってきた」という事実以外にも、プレデターらしからぬ行動がしばしば見られる。たとえば、墜落後CIAに捕らえられ連れて来られたスターゲイザーの研究施設から逃走する際、落ちていた人間の武器=ライフルを手に取って発砲する。これは過去のプレデターにはなかった行動である(逆はよくあるが)。その後、施設から無事に脱出し軍のトラックに乗り込むと、後部座席の兵士を全員瞬殺した。かと思うと、物音を聞いて「大丈夫か」と声をかけてきた運転席の兵士に対し、死んだ兵士の切断された腕をサムズアップさせてヒョイと出してみせたのだ。プレデターが「サムズアップは大丈夫の意味である」と把握している、且つ、それを死体の手で即座に再現するというのは、それほどまでに人間社会への造詣が深いとも取れるし、この個体の知性の高さも感じられるのだが、とにかくこのシーンのギャグ感が半端ないのである。プレデター作品に一切のコメディ要素を入れるなとは言わないが、プレデターにギャグを担当させ、あまつさえそれで滑らせるのは勘弁願いたい。
フジティブプレデターは、自身の装備がローリーの手元にあることを知る。そうしてローリーの元へ向かったプレデターと、ローリーを守るべく現れたクインたちは一度対戦モードになったものの、クインがプレデターへ武器を返却しようと試みたことで、和解のムードが流れる。しかし、そこへ新種のプレデターが割って入り、事態は急変する。
その新種プレデターが、本作2体目のプレデターとなる、アサシンプレデターである。この個体は、アルティメットプレデター、アップグレードプレデターなどと呼ばれており、つよつよ生物の遺伝子をちゃんぽんした遺伝子組み換えプレデターなので見た目もごつく戦闘力も爆高い。皮膚も相当分厚いらしく、フジティブプレデターのリストブレードでの攻撃も無効化していた。武器の提供が目的だったフジティブとは対照的に、アサシンプレデターは、武器の回収と裏切り者=フジティブプレデターの処刑が任務だったようである。クインと対峙していたフジティブプレデターを、壁さえ無視するパワーで外へ引きずり出したかと思うと、ほぼノーダメのうちに相手を沈黙させた。フジティブプレデターの死亡後はさっさと頭蓋骨を引き抜いて投げ捨てるなど、あまりにもフジティブが雑魚扱いされる演出で、アサシンにも腹が立ったし作品自体に不満を覚えたシークエンスである。
プレデターと言っても様々な種族があり、見た目や体型や、なんなら文化的な面でもそれぞれ異なるというコンセプト自体は悪くない。プレデターズでも新しいタイプのプレデターが登場し戦闘力がインフレする事態はあったが、それが種族の違いで自然の摂理だと言われれば納得する部分もあった。しかしこのアサシンプレデターは「遺伝子操作」という完全チート技術に頼って生まれたモンスターに過ぎない。それを本当にプレデターと呼んでいいのかすらも分からない。そんな存在によって、クラシックなプレデターがぞんざいに殺されていくのは不快感があり、好き度が大幅下降してしまった。
雑感
①コミカルプレデターに需要はあったのか
これがオリジナルの宇宙モンスターとの戦いを描いたアクション映画とするならば、そんなに悪くないのかも知れない。しかし、これまでの作品で築き上げてきたプレデターの世界観と照らし合わせると、どうしてもコメディ色が強すぎて違和感を覚えてしまう。
たとえば、人間と共闘したり、ちょっと人間臭さが滲み出ちゃったりと、エイリアンVSプレデターのスカープレデターがかつてのプレデターとは違うカラーを打ち出したことは記憶に新しい。しかしこの作品はそのレベルではない。プレデターという名を冠しているものの、過去のプレデター像とも作風とも乖離しており、それが悪い方に働いてがっかりしかなくなっていた。コメディ色が強すぎる故、どれだけ強いプレデターが現れても恐怖が全く感じられないというのはどう考えてもマイナスだろう。しかも、寒いギャグのせいで見ている側の恐怖が薄れるだけでなく、登場人物たちさえ言うほど恐れているように見えない。そしてこのノリなら、まぁクインは死なないんでしょうな、という予想を裏切ることなく物語は大団円となる。プレデターシリーズではプレデターが死ぬことがお約束という風潮があるので、クインたちが生き残るのはある意味既定路線ではあった。しかし、ここまで緊迫感がないプレデターシリーズは、一体どういう層がターゲットになっているのか甚だ疑問である。
本作の監督、シェーン・ブラックは、一作目のプレデターでホーキンスというシュワちゃんの部下を演じていた人物である。作中でホーキンスは一人下品なギャグを言い続けるよく分からないキャラクターだったのだが、どうせ一作目から引っ張ってくるなら「下品なギャグ」ではなくて別の要素を持ってきて欲しかったものだ。
②主人公が苦手なタイプだと映画も苦手になる法則
振り返ってみると、私はクインみたいなタイプが苦手である。嫌いに近い方の苦手である。
妻エミリーの言葉を借りるなら、彼は特殊部隊のカウンタースナイパーで、5大陸の危険地帯で作戦を指揮し13名を殺し、大尉では14人しかいない殊勲章と銀星章の受章者らしく、まぁ要するになんかすごい軍人らしいのだが、私書箱の料金を滞納して息子を危険に晒したり、出会って間もない得体の知れない男たちを家に連れ込んでみたり、結果オーライだったというだけで、いくらなんでも夫・父として行動に問題がある。
クインは、アサシンプレデターの狙いは自分自身だと誤解するなど、自身が最強人間であると自覚しているようだが、作中では大方、類まれなる運の良さ(別名、ご都合主義)と、仲間たちの活躍によって生き残っていたに過ぎない。その仲間たちは、爆薬の準備とかヘリの調達・操縦とか、必要性がなくなった時点でどんどん雑に殺されていく。しかし、クインにはそんな魔の手は忍び寄らない。主人公だから。メキシコでフジティブプレデターと鉢合わせても“なんやかんや“無傷で逃げおおせるし、CIAの拷問なんてやられてるフリみたいなもので即形勢逆転するし、アサシンプレデターはそれまでバカスカ殺していたのにクインがしゃしゃり出た時には掴んで放り投げるだけだし、上空から宇宙船ごと落下してもノーダメである。主人公だから。
それに加えフジティブプレデターが遺したプレデターキラーを見て、「俺の新しいスーツだ」などと宣う自信過剰っぷりには、その一言だけで辟易したものである。トニー・スタークが改良版のスーツを見て言うのとはわけが違う。クインの肩をポンポンと叩いて、フジティブプレデターは別に君にスーツを遺したんじゃないよ、人類にだよ、他にもっといい適格者はいると思うし君はもう引退してもいいんだよ、いつまでも主役じゃないんだよ、と笑顔で囁いてあげたくなった。


人気記事