
ジャンル:サスペンス、ホラー
制作:ピーター・サフラン、ジェームズ・ワン
監督:ジョン・R・レオネッティ
キャスト:アナベル・ウォーリス(ミア・フォーム:主人公)、ウォード・ホートン(ジョン・フォーム:ミアの夫)、トニー・アメンドーラ(ペレズ:神父)、アルフレ・ウッダード(エブリン:書店店員)、ケリー・オマヒー(シャロン・ヒギンズ:ミアの隣人)、ブライアン・ホウ(ピート・ヒギンズ:ミアの隣人)、エリック・ラディン(クラーキン:刑事)
超ざっくりあらすじ
新たな命の誕生に向け穏やかな準備期間を過ごしているフォーム夫妻。夫ジョンは、妻ミアのために入手困難なアンティーク人形をなんとか手に入れプレゼントした。喜んですぐさま棚に飾り幸せを噛みしめるミアだったが、その晩から、予想もしなかった恐怖が始まる。
ポストクレジット有無
なし
好き度
50/100(普通)

ここを【見所】とする
やはり母の愛である。
ミアは出産前から、何かあったら自分より娘を助けるようジョンに頼んでいた。ジョンがどこまで本気だったかは分からないが、一応承諾したのを見て安堵していた。そうは言っても人間、いざとなったら自分が一番可愛いんでしょう、奥さん?ということもなく、実際リアを取り戻すためにミアは自殺を試みる。これ以上ない無償の愛だ。疑ってごめん。
一方エブリンは、自分の過ちによって、気付いた時には娘だけが亡くなっていた。その彼女が心の支えにしていた、娘(と思われるもの)からの「まだ死ぬときじゃない、務めがある」という言葉は、裏を返せば、それを果たせば死んでもいいという意味にも取れる。そんな表裏一体の思想を拠り所に生きてきたエブリンは、どこか死に場所を探していたようにも見えた。あの書店の本のラインナップがなかなかダークだったのも、その表れではないか。普通、あんな悪魔本をショーウィンドウに並べるだろうか。
劇中、私のように忘れっぽい人のために、親切にも神父の同じような説教がわざわざ2回挿入されており、「友のために命を捨てるのは尊い」と諭している。もちろん、エブリンの中に、ミアやリアを思う気持ち=友情が微塵もなかったとは言わない。だが彼女は最後の場面で、友情からの自己犠牲だけでなく、どこか救いを求めて飛び降りたように見える。それは、この償いで自分の過ちがようやく許されるという救いであり、やっと娘の元へ行ける喜びという救いなのかも知れない。
1人の人間が死に再びアナベル人形が世に放たれ、悪魔が望んだ結果となり、かろうじてミアとリアは助かったものの、ハッピーエンドと呼ぶには人間側のロスが大きかった。むしろ「フォーム夫妻だけハッピーだったエンド」である。しかしそれでも、どこか美しい終わりに感じたのは、母娘の愛情が悪に屈することなく貫かれたからだと思う。そう思うと、神父の最後の言葉もよりしっくりくるのだ。『神が全霊を傾けた傑作。それは母の愛です』
疑問・つっこみ・考察 ごった煮
①アナベル・ヒギンズ、何がしたかったんや
本作の舞台となる1960年代後半はヒッピー文化が流行していた。(ヒッピーとは、簡単に言えば、反体制運動から生まれたカウンター・カルチャーで、自然回帰・ラブ&ピースな若者たちとそのムーブメントのこと)
劇中のテレビで「シャロン・テート事件」について触れていたが、当時チャールズ・マンソンという男が率いていたヒッピー・コミューン(集団)、マンソン・ファミリーのメンバーがシャロン・テート他数名を殺害したという実際の出来事である。しかし、本作に登場する「羊の使徒たち」というのは、インターネットで調べてもヒットせず、実在のカルト集団ではないか、メジャーな団体ではないようだ。
さて本題だが、アナベル・ヒギンズちゃんは一体何がしたかったのか。
ミアが参照した本によれば、悪魔の召喚には近親者の血と、無垢な赤子の血を流す必要がある、らしい。アナベルがその儀式を行おうとしていたなら、ヒギンズ夫妻を殺害したのは、「近親者の血を流す」目的だったのだろう。
では、何故ミアは襲われたのか?あの時点ではミアは妊娠中だったので、「無垢な赤子の血を流す」ためではないだろう。シンプルに考えると目撃者潰しではあるが、そうであれば、まず赤ちゃん部屋へ侵入していたのが腑に落ちない。
であれば、アナベル人形の不思議な力に呼ばれてあの家に向かったとする方が自然ではないだろうか。ミアに開口一番告げるのも「見たなコラ」でも「テメェぶっ殺すぞ」でもなく、「いい人形ばかり」という一言。ひょっとしてヒギンズ夫妻殺害によってアドレナリンやらドーパミンやらがドバドバで勢い余って攻撃したのかも知れないが、アナベル人形がなければあの家には行っていなかったと推測する。いずれにしてもあの事件を引き金に、悪魔はこちらの世界へ自らが干渉できるようになった。となると、アナベル的には目標達成!と言えるのだろう(本人死んだけど)。
ところで、アナベル・ヒギンズの姿で霊的な存在が何度か確認されるが、私は、事件時点で霊魂としてのアナベルもこの世にいなくなったと推測する。“自死以降のアナベル”は、悪魔の仮の姿とするほうが、断然辻褄が合う。エブリンも劇中で触れていたが、死霊館ユニバースでは基本、霊は場所に憑き、悪魔は人に憑く設定のようなので、矛盾がない。
②悪魔、何がしたかったんや
悪魔は、序盤からミアを執拗に狙って行動を起こす。ミアの恐怖心が増すのに比例して悪魔の力も増していくと、リアを物理的に狙うような行動に出る。しかし、どこか子供だましである。たとえば、ミアを別室に閉じ込めた上で、リアを狙って本棚の本をゴトリ、ゴトリと落としていくシーン。本当にリアを狙っているなら、そんなまどろっこしい事をせずに、ソファでもぶん投げてしまえばいい。だが、それをしない。
ここからは推測だが、本作に登場する悪魔はレベル的もしくは能力的に直接人間を殺せない設定なのかも知れない。人間側が「魂を渡す」ことを承諾しないとダメで勝手には奪えないという話も、同じ意味合いで理解が可能だ。そして、リアが奪われた!と大人たちが大騒ぎになるあの時も、リアはずっとあの場に居たのではないかと思われる。悪魔がさくっと人間をどこかに空間転移させられるならば、もっと物事が簡単に進められるはずだからだ。幻覚、幻聴と同じような仕組みで、あの場にいる大人たちにはリアが見えなかっただけ、という方が納得いく。ミアたちはリアを守るために必死になっていたが、彼女が「やれるもんならやってみろ」精神で各種の脅しをスルーしていた場合、悪魔はどうしたのだろう。
それから冒頭のシーンへの前段階として、娘の誕生祝いにと婦人がアナベル人形を購入していく。そして悪魔は再びアナベル人形を介して、人間に取り憑こうとする。この流れで推測できるのは、この悪魔は、誰かが所有している物を介さないと人間に影響を及ぼしたり取り憑いたり出来ないということだ。媒体となる何かさえ封じ込めればいい、というのも、理屈が通る。早く誰か買ってくんないかな~と大人しく棚に座っている悪魔/アナベル人形はいささかシュールだが、あの時点では周囲に作用できるほどの力を持っていなかったのだろう。それにしても、ウォーレン夫妻のもとで、いくら2カ月に1度神父が清めているとは言え、ガラスケースに入れてポンと置く保管方法には不安が残る。メガバンクの金庫くらいの物理的堅牢さが欲しい。
ちなみに、本編中で悪魔の名前は明言されないが、ミアが参照している本に「マルサス」の記載があるため、ファンの間でこの悪魔はマルサスと呼ばれているようだ。ところでマルサス君は、ミアの魂をあんなに狙ってたくせに、エブリンが代わりに差し出して満足したんだね、尻の軽い悪魔だね。
③死霊館ユニバースのおさらい
本作は、死霊館ユニバースの1作品、アナベルシリーズ第1弾として位置づけられている。実在する心霊研究家、ウォーレン夫妻が取り扱った実際の事件を元にしたとされる死霊館シリーズのスピンオフ的存在だ。
本編中、フォーム夫妻と会話している神父が、「バチカンが認めた夫妻がいると聞いている」と軽くメンションしているのがウォーレン夫妻で、また、冒頭若者3人がアナベル人形について語っているが、その相手もウォーレン夫妻である。なので、直接的なストーリーの繋がりはないが、名作ではあるので是非死霊館も見て頂きたい。
なおアナベルの誕生秘話を描いた作品、「アナベル 死霊人形の誕生」については、シリーズ的には矛盾も孕んでいるものの単体ではなかなか面白い作品である。
各作品の事件の時系列としては下表①、映画公開順では下表②の通り。

雑感
①いろいろ詰め込んだコンパクトホラー
幽霊要素、カルト要素、からの、悪魔出現という、オカルトホラーのエッセンスをいろいろ取り入れて散漫になった、そんな印象を受けた。
もしこれが本家死霊館であれば、ウォーレン夫妻がやってきてなんやかんやで事件解決という水戸黄門展開になるわけだが、そうではない。根性論で対処しようとしていた神父は、いざ動き出したと思ったらあっさり吹っ飛ばされて負傷する。ガイド的役割のエブリンだったが、悪魔に対抗する手段を持っているわけでもなく、最終的には友情パワーで代理死する。
そうして素人しか登場しない本作は、ハッピーエンドの皮をかぶって唐突に終わる。単体の映画としてやや説得力に欠ける展開が多く、アナベル人形の不気味さと、何回トライしても地下で開くエレベーターのコントみたいなくだりだけが記憶に残るような仕上がりだった。ボタンをガチャガチャ、ドアがチーン、はいまた地下ぁ!のテンポの良さに、「いやそのくだり何回やんねん!」とつっこんでしまった人は多いはずだ。
②人形って……怖いよね
死霊館ユニバースに登場するアナベル人形は、引き攣り笑いみたいな表情のビスクドールでそもそも不気味である。平和に受け取るミアになかなか共感出来ない。ミアはジョンから受け取ったアナベル人形を嬉々として人形棚に並べるのだが、その棚が最もホラーに見えた。人形が好きな人たちからすると、あのアナベルは可愛いのだろうか。むしろ、こっそり覗いてる悪魔の方が可愛くはなかっただろうか。そう感じたのは私だけなのか。
ちなみに、実在するアナベル人形はラガディ・アン人形(布製)で、もっと可愛いらしいです。



人気記事