「死霊館 最後の儀式」 (2025年)

ジャンル:ホラー、ミステリー
制作:ジェームズ・ワン、ピーター・サフラン
監督:マイケル・チャベス
キャスト:ベラ・ファーミガ(ロレイン・ウォーレン:主人公/エドの妻・透視能力者)、パトリック・ウィルソン(エド・ウォーレン:主人公/ロレインの夫・悪魔研究家)、ミア・トムリンソン(ジュディ・ウォーレン:ウォーレン夫妻の娘)、ベン・ハーディ(トニー・スペラ:ジュディの彼氏)

超ざっくりあらすじ

1986年のペンシルベニアで、とある大家族が娘の堅信式を境に怪奇現象に見舞われ始める。一方、既に現場での調査を引退したウォーレン夫妻の愛娘ジュディの背にも、不穏な影が忍び寄っていた。やがて二つの事件は、とある悲劇を起点に交差していく。

ポストクレジット有無

あり

好き度

40/100(あまり好きではない)

ここを【見所】とする

シリーズを通して描いてきたことの総決算とも言うべき作品で、全てに打ち勝つ家族愛が全面に描かれている。

ウォーレン夫妻は、年齢的なことに加えてエドの心臓疾患も抱えており、既に心霊調査という現場活動は引退していた。しかし一人娘ジュディからの説得により、今回霊障に悩んでいるスマール一家のため調査を行うこととなった。紐解いていくと、スマール家には3体の霊がいて悪さをしているが、それは見せかけであり、元凶は鏡を媒体としている悪魔であることが判明する。しかもその悪魔というのが、かつて出産時にジュディを連れ去ろうとした因縁の相手だったのだ。そのため、本作で初登場となるジュディの恋人(作中でフィアンセ➡夫に昇格した)トニーもウォーレン夫妻と協力し、家族が揃って<鏡の悪魔>と対峙するのがクライマックスとなるのだが、映画を全て見終えたあと振り返って真っ先に思い出されるのは、その後のジュディとトニーの結婚式であり、そこでロレインがエドに語った「ヴィジョンで見た未来」である。

ジュディの結婚式には過去作の登場人物も含め、多くの関係者が参列し、その前までの暗く激しい悪魔祓いシークエンスとは打って変わって、ハッピー全開モードとなっていた。また、式場でロレインは、幸せな未来が見えたとヴィジョンの内容を語る。結婚したジュディとトニーが二人のところへ孫を連れ遊びに来たり、ロレインがエドと共に執筆活動に励んだり(書いた作品の仕上がりはクソらしい)、夫婦が揃ってバイクで遠出をしたり、時に悩んでいる人の電話相談に乗ったりと、「愛に満ちた日々」が見えたと言うのだ。これまでロレインが見てきたヴィジョンというのは百発百中ではなく、エドが胸を貫かれて死んだりすることもなかったので、ヴィジョン=確実な未来とは言えないものの、純粋に、そうなったらいいなと願いたくなる風景が描かれていた。

死霊館シリーズと言えば、いずれも根底には家族の絆、家族の愛が描かれる作品であり、尚且つ悪魔との戦いにおいてもイエス・キリストの力というより、エドとロレインの信仰心と彼らの愛が最も強い武器となっていた。そういった意味でこの最終章は、とても死霊館らしいドラマが展開されていたと言えるだろう。そう、この映画はただのホラーではなく、「夫婦っていいな、家族っていいな、にんげんっていいな」という気持ちをもたらしてくれる、愛溢れるハートウォーミングホラーなのである。

疑問・つっこみ・考察 ごった煮

①悪魔の印象薄すぎ問題
ロレインの霊視により、今回スマール家が悩まされていた霊障の直接的な原因となるのは、土地に憑いていた3体の霊だと判明した。斧を持って高笑いするロン毛男性の姿はなかなかインパクトがあり、映画が映画ならラスボスにもなりうる風格だったが、正体は妻の不倫にガチ切れた一般男性の霊だった。またスマール家の面々を脅かしたり、乱暴を働いていた残りの2体は、彼の妻とその母の霊だったという。しかし、その3体はあくまで見せかけで、元凶として他に悪魔がいるらしい。この辺のプロットはエンフィールド事件と似ている。

さて、その元凶となる悪魔が本作のメインエネミーなのだが、如何せんこの悪魔、存在感が薄いし、なんなら最後までまともに姿を見せないような慎ましい奴である。

そんな奥ゆかしい〈鏡の悪魔〉はジュディと因縁があるということだけは明らかになっており、わざわざゴードン神父を死に至らしめてまでジュディを自分の元へ導いたのだが、可愛いジュディちゃんが戻ってくるのずっと待ってた~と語るものの、その後の行動については何がしたいのかいまいち分からない。

悪魔は、スマール家を訪れたジュディにさっさと憑依したようなのだが、憑依後にしたことと言えば、ロレインを階段から突き落とす(でもちょっと気絶したのち覚醒)、エドの心臓に手を当て苦しめる(でも薬一錠で復活)、犬のサイモンを壁に打ち付ける(許せない!許せないけど、その後のシーンで普通に登場)、からの、ジュディの首吊り未遂である。家族を恐怖に陥れつつジュディを殺すのが狙いだったのだろうか。すぐさまジュディを自殺させてしまうなら、わざわざ呼び寄せ憑依した意味はなんだったのか。

首吊り自体はエドとトニーがナイフでロープを切って回避出来たのだが、下の階に落下してしまい、ジュディは一旦心停止に陥る。エドの文字通り命がけの心臓マッサージでなんとか息を吹き返すのだが、その時には憑依は解けていた。すると今度は鏡自体が意思を持っているかのように動き始めるのだ。これまでの死霊館シリーズでもいろいろなキーアイテムは出てきたが、アイテム自体が物理で激しく攻めてくるパターンは初であり、見た目は少々コメディになってしまった。特に鏡が高速回転する映像は、あまりにもCG感が強くて笑ってしまった。最後は、ロレインがこれまでの見て見ぬふり指導が間違っていたことに気付き、ジュディに立ち向かうように告げる。それに従いジュディが鏡に手を添えて「you’re not there」と言うと、なんと悪魔は簡単に消滅してしまった。

結局のところ〈鏡の悪魔〉は名前も目的も容姿も分からず終いだったこともあり、これまで死霊館シリーズで登場したバスシーバ、アナベル(マルサス)やヴァラクといった存在感あるアイコン悪魔と比較するとどうしても見劣りしてしまうし、戦いの結果も、悪魔が消えた!助かった!という感覚が希薄でカタルシスが感じられず、全体的にどこか拍子抜けしてしまった。

ちなみに、ジュディの前にウォーレン邸の地下で保管されているはずのアナベル人形が何度か現れ、スマール家では巨大化してジュディを追いかけ回すのだが、これらは全て〈鏡の悪魔〉が見せた幻覚だと思っている。作中引用されるエド・ウォーレン氏の言葉でも「悪魔はどんな姿にもなる」という一節があるので、ジュディが最も恐れる姿で彼女の心を弱らせようと試みたのだと推測する。ところで、そのアナベル巨大化シーンも怖さより愉快さが際立ったところなのだが、こうして思い出してみると本作でのアナベルはあまり怖さを演出するツールになり切れていなかったように感じる。むしろ「ママ、ママ」と壊れたレコード並みに連呼しながら謎の髪型でハイハイし神出鬼没に人間を驚かせる素のスージー人形が一番怖かった説が私の中で浮上している。ホントに、人形って怖い。

②ゴードン神父の死
ゴードン神父は実在の神父ではないらしいのだが、死霊館シリーズにおいてはちょいちょい見かけるお馴染みのキャラクターで、滲み出るいい人っぽさから親近感があった。なので、その彼が困っている家族を放っておけない、でもウォーレン夫妻の意思も尊重したい、という善性から、単身スマール家に乗り込んでしまった時はハラハラしたし、逆に悪魔の気配を察してさっさと教会へ戻る場面では安堵したくらいだ。

しかし、最終的に、彼は悪魔の餌食となってしまった。司教の元へ訪れ至急スマール家の悪魔祓いをするべきと伝えようとしたのだが、司教の秘書と話す以上のことが出来ないうちに、幻覚に襲われたのである。ゴードン神父が見つめた先のドアノブがくるっと回転し逆さ十字になる演出は、本作で最もよかったシーンの一つだと思う。

その後神父が目撃した「何か」が描かれることがないまま、ゴードン神父はオーメンの乳母よろしく、凄い潔さで首吊りを実行する。彼の死をきっかけとしてジュディはスマール家へと向かう流れになっていく重大なイベントなのだが、あまりに軽く描かれていて驚いた。ロレインは葬儀で涙ながらにゴードン神父の死を悼み、ジュディも離れがたい様子で棺に手を当てる(そしてヴィジョンを見る)。しかし、『あのゴードン神父が首吊りをするだろうか?だとしても何故このタイミングで?しかもペンシルベニアで司教に会いに行って死んだ?一体どうして??』みたいな、謎解き展開が来るかと思ったが、そんな流れは全くなかった。これは悪魔の強さと、ジュディを引き寄せたい執念深さを表す一コマだったのかも知れないが、だとしたら、悪魔の射程距離はどのくらいなのか、この悪魔には何が出来て何が出来ないのかをはっきりさせて欲しいところである。更に言うと、教会という悪魔にとって最も忌むべき、苦手とする空間において、天敵である聖職者をも簡単に自死に導けるほどの強敵!と思わせておいて、ジュディの一声で退場してしまうバランスの悪さがどうにも引っ掛かってしまう。せめて過去作の流れを踏襲して、「悪魔の名前をつきとめて、神の名のもとに地獄へ帰るよう命じる」手順だけでも踏んで欲しかったものだ。

③死霊館ユニバースのおさらい
本作は実在する心霊研究家、ウォーレン夫妻が取り扱った実際の事件を元にしたとされる死霊館シリーズの最新作にして、最終章とされている一作である。関連するシリーズはまとめて、一般に死霊館ユニバースと呼ばれている。

各作品の事件の時系列としては下表①、映画公開順では下表②の通りである。

死霊館シリーズを一切見ないで本作を観てしまった人がどれほどいるか分からないが、もし未見であれば、ホラー映画の傑作選で(ほぼ)必ず挙げられるオリジナルの死霊館は是非見て欲しいところである。

死霊館のシスター2作では、死霊館シリーズでも登場するヴァラクに関してたっぷりと描かれている。アナベルシリーズ第一弾、第二弾は直接ウォーレン夫妻に関係のない話となっており、第3弾はウォーレン一家こそ出演しているものの死霊館シリーズとは少々毛色が違っており、ライトなエンタメホラーになっている。さらっとアナベル人形の単純な出自を確認したい場合には、第2弾の「アナベル 死霊人形の誕生」のみでも問題ない。

雑感

①あまり響かなかったスマール家
霊障に苦しむ大家族として登場したのは、ペンシルベニアで暮らすスマール家である。一家は、家主のジャック、妻ジャネット、ジャックの両親、娘4人の8人で一軒家に住んでいる。長女ドーンと次女ヘザーは思春期の女性らしいちょっと小生意気なところもあるが、双子の姉妹カリンとシャノンも含め、そこまで素行が悪い雰囲気はなく、いわゆる普通の家族といった具合に描写される。しかし、何故だかこれまでの死霊館ユニバース作品と比べ、一家に愛着が持てない。彼らに理由を求めるとするならば、父ジャックが子どもの話をまともに聞かない系の父親で自分が被害に遭うまでまともに動かなかったから、というのは否めない。しかし、原因は一家そのものよりも、彼らの描かれ方にあると考える。

スマール家の面々は、ジュディが彼らの家を訪れて以降完全に空気になる。しかし、それ以前から「ん?」と引っ掛かりを覚える点があるのだ。例えば、ドーンとヘザーがこっそり鏡を捨て、鏡がゴミ収集車の中で割られてしまった際、まるでその罰を受けるかのようにドーンが割れた鏡の欠片を吐き出すという場面がある。食事中の女の子が突然嘔吐したかと思ったら、大量の血を吐き、しかもガラス片が混ざっているという衝撃の流れなのだが、一家がそんなに動じているようにも見えない。しかも、その後のシークエンスで普通にドーンが家にいる。作中では吐血騒動から数カ月単位の時間が経っているのかも知れないが、時間経過の伝え方が下手過ぎるし、それにしても、血みどろになり鏡の欠片を吐いた少女が何事もなかったかのようにしているのは違和感を覚えてしまった。祖母が救急搬送された話も、その後特に何も触れられず、あれ?そういえばどうなったっけ??その後元気にしてたっけ??と曖昧な記憶を辿るようになるのだ。そもそも一家団欒の象徴とも言うべき食事のシーンも、大体、各々が好き勝手に話しているだけで、あまりスマール家の仲の良さというか、家族の絆のようなものが伝わってこない。だからエドが彼らの家でパンケーキを焼いても、ペロン家で同じことをした時のような「エドのお陰で、久々に家族で楽しい朝食が取れるね!」というほっこり感に繋がらない。

実在する一家については勿論、映画内のスマール家について悪く言いたいわけではないのだが、上述のような要因から本作における「苦しむ一家」にあまり感情移入出来なかったことは、カタルシス不足の一因になってしまっていると思われる。

②ファンサービス満載のフィナーレ
これで死霊館シリーズは完結と言われている以上、やはり期待してしまうのが過去作の登場人物の再集合である。その点では、本作は期待以上のものを見せてくれた。ウォーレン夫妻の頼れる助手役ドルーはもちろん、オリジナル死霊館にて登場し頬を噛みちぎられたあのブラッドがお元気に肉焼きおじさんをしていたのは、彼を陰ながら応援してきた身としては嬉しい限りだった。

ジュディの結婚式には死霊館1~3までにエドたちが救ってきた家族の面々が登場しており、シリーズを追いかけてきたファンにとっては見つけた瞬間ニヤッとしてしまう場面だろう。ペロン家、ホジソン家の少女たちがキレイな女性に成長していて勝手に感慨深くなったし、第3弾に登場のデイビッドも立派な青年になっていて、エドが心筋梗塞になった苦い場面を思い出すと同時に、それでもこの少年の未来を守ったのだなという実感を抱く。

とはいえ、映画として最後の最後にポスクレで映し出されたのは不穏な鏡とエドのツーショットであり、これが単なるヒューマンドラマや感動映画ではないことを念押しされた気分だ。不気味なBGMと共に締めくくられたことで、ホラー映画としての死霊館の見納めなのだなと再認識する。

さて、今後死霊館シリーズが別方向で展開することはあるのだろうか。本作によって、ジュディはロレインと似た力で悪魔と対峙できる事実が描かれたし、トニーも、ジュディの力を認め、体を張って彼女を守る覚悟のある男であることが分かった。ラスト、ウォーレン邸にある呪いの品々の保管室の鍵をエドがトニーに渡したことで、世代交代は十分すぎるほど示唆されている。なので、あるとすれば「事実にインスパイアされた架空のお話」という立ち位置で、ジュディが主役の悪魔祓いストーリーになるかも知れない。しかしトニーは、スマール家での悪魔祓い中、元警官と思えない慌てっぷりで車の速度を出し過ぎて事故ってしまうお転婆さんなので、ちょっと不安が残る。また、エドとロレインのラブラブっぷりをニチャっとしながら眺めるのも死霊館シリーズの醍醐味であったので、それがなくなってしまうのは寂しい限りだ。恋しくなった時には、アナベル人形を抱いてロッキングチェアで揺れながら二人に思いを馳せて過ごそうと思う。